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私たちは望みがかなえられないと、なぜ不幸だと感じるのだろう?


なぜ私たちは自分が望むものを必ず手に入れるべきなのだろう?
それは自分の権利だと私たちは考えるのではないだろうか?

が、何百万もの人々が彼らの必需品すら手に入れられないで
いるときに、なぜ私たちが自分の望みをかなえるべきなのか? 

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慢心

comment iconコメント ( 3 )

望まぬことに出会うとこれまた不幸

こんにちは
かなわぬ事で不幸に思い、望まぬことでこれまた不幸に思う。
では、どうしたら幸せでいられるのですか?
何も望まず、すべてを受け入れる? とてもできそうにありません。
がむしゃらにがんばる? でも望みどうりにならないことは沢山あります。
答えがみつかりません。

名前: 夏ちゃん [Edit] 2014-06-27 12:07

夏ちゃんさん、こんにちは。

まずはじめに言っておきます。
それは問いかけが間違ってます。
どうして幸せでいなければならないのでしょうか。

そして自分が望む答えなどどこにもありません。
そんな都合のいい答えはありません。
が、自分が望んでいないかたちで答えが来るかもしれません。
それはひどく繊細で、自分が明晰でいないと気が付かないかもしれません。

それは受け入れる・受け入れられないという観点から判断するのではなく
単なる事実です。
希望する状態とは違うかもしれない、単なる事実です。
焦燥したり不安になる必要はありません。
あるがままであればいいのではないでしょうか。
なぜならば、あなたとは思いやりのある愛らしい魂であるからです。

名前: H [Edit] 2014-06-28 10:46

祖母の生き様

お答え戴いてありがとうございます。
今は亡くなった祖母の生き方を思い出しました。
明治生まれの祖母は、私など足元にも及ばない心の強い人でした。
戦後の貧しい時代、夫は役場に勤め、義理の親、義兄弟、の面倒をみながらの農家の仕事です。時代だからと一言ではかたずけられません。
でも、祖母の愚痴を聞いたことがありませんでした。いつも、前向きにどうすべきかを考える人でした。
人として尊敬できる祖母でした。
だから全てがうまくいくとも限らないものでした。祖母と3男がすべてを方向ずけ、父や母や叔母などはずいぶんと心寂しい人生を過ごすことになり、幸せではないような・・・
祖母には一つの方向性の癖があり、物が一番大切な人でした。
そして、そのことにとても長けていましたし、とても美人でしたし、自信家でもあった。周りの者は祖母の人生に付き合わされて、心の平穏のない人生で、父のように破滅した者もいます。
尊敬しながらも、祖母に勝るものもなく、いつも不安定で自信をもてなかった。
つまり、私が回りに思っていることは、あの祖母の思いではと愕然としています。それも中途半端な、不出来な自分がするべきことではないですね。

とりとめのないことを書いてしまいましたが、自分の心を休めたいのです。
きっかけを下さってありがとうございました。

名前: 夏ちゃん [Edit] 2014-07-01 11:12

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